当校の特徴は、習ったら次の日に臨床に即、使える技術とそれを裏ずける基礎医学の充実に対する内容に比べて、対費用効果は3倍はあると自負しています。
足の甲が痛いと言われたら? 肩甲骨のワキがつっぱると言われたら? 膝に水が溜まって困る!と言われたら?
当校のオステオパシーと整体関連技術は全身の骨・筋肉や筋膜があるところはどのような位置でも痛みを完全無痛でしかも副作用が無く、速く修得ができることです。
私の家族が一番幸福だった時で諏訪湖へ旅行に行った時の写真です。初公開です。当時、私は札幌で大学生をしていました。
実は私は自分の写真は絶対と言っていいほど出しません。なぜか?顔に自身がないから?と思った方もいるでしょうし、理由が分からない、と言う方もいるでしょう。その理由は後程言います。
女の子は父親に似ますが男の子は母親に似ますね。私の場合体のパーツだけでなく、気性とか性格というか細胞単位まで似ているそうです。中学の時の模試で電車に乗って近畿大学がある近鉄の長瀬駅までついてくるほど今から考えれば過保護な環境でした。
しかし私は高校は私立にしか受からなかったので、授業料が公立高校に行くより何万円も毎月かかるので最寄の近鉄学園前駅まで自転車で行かされました。奈良市は坂がすごく多いので毎日心臓破りの自転車こぎで恨んだりもするほど幼い奴でした。(今振り返ると)
でなぜか大学は北海道にあこがれて(たまたま大阪に受験地があったので受けてみたのですが、なんとここしか受からなかった)しょうがないから札幌で初めての一人暮らしで洗濯機の使い方も分からず真夜中に奈良の母親に聞いたものです。でもバイトとか始めると楽しい友達もできて夏は250ccバイク、冬は車で悲しいことに人生最高潮でした。あ〜楽しかった!お酒まみれになったのもこの連中のせいです。私は学校に行く気持ちで一杯だったのですが朝まで毎日飲んでたら行ける訳ないですよ!けっして私は悪くない・・・。しかもバイトはクロネコや郵便局の深夜だったので、そのまま大学に行ったら病気になるかもしれないと思い、大事をとって休みまくった。
で、そんな生活も有限で残念ですが留年もなぜかできず、(本当は8年は大学にいるつもりだった)なにの陰謀か無理やり社会に放り出されたのです。ここから私の苦難の死のロードが始まったと言ってもいいです。
内定をおなさけで出して頂いて私のような甘ちゃんを拾って下さったのは、全く知られていませんが東証一部上場の日成ビルド工業株式会社でした。しかし入社してそうそう希望勤務地など聞いてくれず行ったことも通ったこともない岡山支店でした。この支店に初めて勤務した日からの毎日は営業でしたから筆舌に尽くしがたい日々でした。
一日です。たった一日の日ずけが変わったら天国で,白いものは白く,理屈と気ままな日々が、白くても黒といい、理屈が通らず朝きっちりAM7:30には席に就いている繰り返される日々です。本当に毎日良く飽きないなーと思うほど,ののしられ、罵倒され、理不尽さもさんざん味わいましたけど、どう考えてもこの時の経験がなければ今はない、と断言できます。建設会社ですから話す相手は創業者の社長さんばかりで、二度と来るなと言われた会社もありましたけど、大変に目をかけて頂いた社長もいて(うかがったら本当に歓待していただきました)、支店に夜帰るのがいやでしたのであちこちの社長さんの処でなるべく長く理由をつけてはおじゃましていました。
そんなある日、親戚の方が亡くなったので金沢に帰りましたら(父も母も石川県金沢市出身です)鍼灸接骨院を経営していた叔父がこれからは手に職がないと厳しいぞ、と言うので北信越柔道整復専門学校を紹介されて入学しました。ここで研修先に入った木山接骨院には今でも感謝に絶えません。技術も大事だけれども人柄も揃ってはじめて人は触らせてくれるのだと言うことです。学校も厳しくて大学みたいな感じかな、と想像していたのですが正反対で大真面目な生徒と熱心な先生方には柔道で痛いこともありましたけど、今ではよくもこんなに教えて頂けましたと、感謝で一杯です。
この金沢にいる頃からクラスの中で父親がオステオパシーだけで接骨院を経営していて、患者さんにやさしい技術はないものかな?と探していたので誘われるまま毎月京都のJOCのセミナーに通って帰ってきたら地域情報誌に広告を出して自由診療で経験を積んでいきました。
北信越柔整専門学校の3年間にオステオパシー他整体・マッサージで車や借りていたマンションで営業をしていましたが、スタート時点での金額は500円です。一時間で。半年位この金額でがんばりました。もちろんこの間の生活費は育英会から借りて生活はギリギリ確保していたので出来ることですが。しかし金沢はこの金額でも警戒心をも足られなかったのです。ですから授業と接骨院の修行時間以外一日4人は出来たので半年で500人強は経験を積めました。
なぜ500円なのか?これはその方々の方法が色々あります。この他にも始める時の価格設定はその地、その場所、地域所得、道路に面している位置等々考えることと勘案しなければならない事はかなりありますので、当時の私の状況では途方もなく遠い道のりでしたが間違っていたとは考えていません。
私は当時からこのまま接骨院を開いたとしても保険だけでは数年でいきずまると考えていましたので、このまま進んで行こうと考えました。初めて7ヶ月後には思い切って1.500円(一時間)にし、9ヶ月後には2.500円にしました。この過程で当然患者さんは減りましたが、この状態を半年もつずけると(患者さんに2.500円〜4.000円までで払ってもいいと思われる金額をお支払いくだされば良いです、といいました。
ここから2年生になるころにはおおよそ平均3.300円をお支払い頂ける技術になっていました。金沢でこの値段この方法の場合気お付けなければならないのは、支払って頂く時に中の見えない箱の中に手を突っ込んでお金を置いてもらうということです。この方法は学校の良い友人になって頂いていた整体院を経営していた方が教えて頂いたのですが、すごい自信になったのは言うまでもありません。
だってこれで私は国が健康保険が破錠しようと、日本中どこに住んでも、食べていける自信ができたからです。この事実は途方もなく大きいです。しかもこの私が学校に通っていた時期は山一證券が破錠したりしていた日本経済のどん底期だったので余計です。
その後東京で色んな整形外科や接骨院・マッサージ院や各種色々な本当に多種多様なお店に勤めたり、通ったりしました。この東京にいた3年間は大変な財産になりました。そしてこれからのこの医療の世界の今後の一端と,どこまでも深い闇,にも結構触れられたかなと言う感覚もありました。
そして私の母親が亡くなっていたこともあり奈良に帰って治療院を開業し、しばらくして近くの大変におしゃれな奈良県内唯一というデザイナーズマンションで日本オステオパシードクター専門学院を開校しました。37歳になってしばらくの頃です。別に見なくても良いのですが、気合が入っている建物の一端は部屋の内部の写真から感じられるかと思います。しかしここから、治療とは全く違う経営というものに関連する事柄に次々とぶつかっていきました。
☆人を雇うことの難しさと、トラブル対処法
1・奈良に移ってから大阪も入れて3年もの間延べ7人の方に勤めて頂きました。治療院とかを経営していると色々な職種の方がいらっしゃったのが大きいのですが、まず雇用している、又は人事関係の方が言っていることは、こと人の問題であり、そのアドバイスは恐ろしく貴重ですし、この関係のお話が経験者から聞けるなら、その日の御代はおまけしてでも、感謝をあらわしましょう。(間違って頂いては困るのですが、私が普段、感謝をしていないのではありません。ここは強調しておきます。)
2・ただどんなにお話を聞いても本当かなーと言うようなすごい例もあり、あとでもろに、はまりこみました。
3・つまりここでははっきりしたことは、とてもではありませんがここに書くことはできません。幸いにも私自身がかなり多くの方のご助力と専門家のアドバイスを経験していますので、開業される方にはレジュメも渡せないので口頭でメモって頂いております。幸い今はトラブルというものは起こっていません。最初の対応・官吏への対応・事後の対応・未然の予防法・・・・。
ただ言えるのは、開業したら法律上、事業者になってしまうということです。
☆過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる!
☆成功の条件は、失敗の数が多いコト!
☆医療の世界は苦しんだものに花が咲く!
☆七回転んだら八回起きればいいじゃないか!
☆そういう私も地べたを這いずりまわったし、今でも努力!
☆今でも毎日、応用、試す、応用、試す、終わりはないけど成長産業!
☆意外と職人の世界は年功序列。(医療者はやはり職人、食いっぱぐれなし!
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